昨日TVで久しぶりに小津安二郎の映画「麦秋」を観た。昭和26年の作品である。当時監督の小津安二郎は48歳、脚本の野田高梧は58歳、カメラの厚田雄春は46歳。配役は間宮周吉役の菅井一郎44歳、しげ役の東山千栄子61歳、康一役の笠智衆47歳、史子役の三宅邦子35歳、紀子役の原節子31歳、茂吉役の高堂国典は年齢不詳、田村アヤ役の淡島千景27歳、佐竹宗太郎役の佐野周二39歳、たみ役の杉村春子45歳である。この中でおいどんより年寄りは東山千栄子しかいない。すっかり馬齢を重ねてしまい、あっと驚くタメゴローだ。フー
この映画の解説は
【製作は「自由学校(1951 渋谷実)」「虎の牙」に次ぐ山本武。脚本は「宗方姉妹」と同じく野田高梧と小津安二郎との共同執筆。監督は「宗方姉妹」に次ぐ小津安二郎作品。撮影は常に小津作品を担当する厚田雄春。出演者は、「西城家の饗宴」の菅井一郎、「自由学校(1951 渋谷実)」(松竹)の笠智衆、淡島千景、杉村春子、高橋豊子、「白痴」の原節子、東山千栄子、「天明太郎」の佐野周二、「あゝ青春」の三宅邦子、「恋文裁判」の二本柳寛、「初恋トンコ娘」の井川邦子などである。】
とあり、
あらすじは
【間宮周吉は北鎌倉に住む老植物学者である。息子康一は医者で東京の某病院に通勤、娘紀子は丸ノ内の貿易会社の専務佐竹宗太郎の秘書である。佐竹の行きつけの築地の料亭「田むら」の娘アヤは紀子と学校時代からの親友で二人共未婚であるが、安田高子と高梨マリの級友二人はすでに結婚していて、四人が顔を合せると、未婚組と既婚組とに対立する。折から間宮家へは周吉の長兄茂吉が大和の本家より上京して来たが、紀子の結婚談が出る。同時に佐竹も自分の先輩の真鍋という男との縁談をすすめる。間宮家では、周吉夫婦をはじめ康一たちも佐竹からの話に乗り気になり、紀子も幾分その気になっているが、古くから間宮家の出入りである矢部たみの息子で、康一と同じ病院に勤めている謙吉が、急に秋田の病院へ転勤するときまったとき、謙吉こそ自分の結婚すべき相手だったことに気がつく。謙吉には亡き妻との間に光子という三才の遺児があり、恒産もないので、間宮家では四十歳ではあるが、初婚で、善通寺の名家の出である真鍋との結婚を希望するが、紀子のたっての希望を通してやることにする。紀子は秋田へ去り、周吉夫妻も大和の本家へ引きあげて行く。その大和はちょうどさわやかな麦秋であった。】
という当時の上流階級の他愛もない日常生活を描いたものである。紀子の年齢設定は28歳のオールドミスで、この概念は生物学的に今でも変わらないだろうが、最近オールドミスという言葉をとんと聞かなくなった。まさか差別用語になったわけではないだろうが、不思議である。紀子は兄と兄嫁と兄の息子二人と両親の都合7人で北鎌倉の閑静な住宅に同居している。
きっとおいどんの両親が深いため息をつきながら900円もする高価なケーキを食べるシーンを観ただろうと思ふ。
恐ろしくモダンで前衛的な絵が掲げられた喫茶店で4人の女友達が楽しそうにおしゃべりしたり、喧嘩をしたり、ネーエ言葉を連発したり、淡島千景がトップファッションで颯爽と登場して原節子を食っていたり、いくらなんでも笠智衆が原節子の兄貴役というのは少し無理があるだろうとか、佐野周二は何度見ても日本一の男前だなあとか、都心にはバラックもなくなりモダンなオフィスがあって丸ビルがあって専務がいて道路が舗装されて自動車があって料亭があって医者がいて何ともかんとも素敵でしょうがないなあ、と深いため息をつきながらこの映画を観たと思ふ。
昭和26年といえばおいどんの父が49歳、母が36歳なのでその可能性はある。でも当時は2歳と4歳と7歳と10歳の4人の子育ての真っ最中で、家の近くの歌舞伎座に映画を観にゆく余裕などなかったかもしれない。おいどんが歌舞伎座で映画を観た最初の記憶は昭和30年代に入ってからのベン・ハーなので、きっとそれまで映画館には行っていないだろう。間違って観ていたら、スクリーンに繰り広げられるあまりの別世界に腹が立ったかもしれない。これは憶測だが、北鎌倉で繰り広げられたこのリッチマンお金持ち幸せ家族ドラマは今と全く違う感慨をもってヒットしていたのかもしれない。
この映画に出演している役者のセリフが心地良く、家族間の意識が今とはまるで異なっているのが微妙に面白いので、鑑賞しながら少しばかりセリフをテキストに落としてみた。そして何度かこの映画のセリフを聞いているうちにひょっとすれば昭和26年という時代は自分が思っている以上に遥かに遠い昔なのかもしれないと思い始めた。あの時代を生き抜いた人々の感性は今の日本人とは全く異なるのかもしれない。昭和20年代も30年代も既に時代考証が必要な時代なのかもしれない希ガス。
そんなことを考えながらぼんやりと映画を観ていたのだが、結局映画のトップシーンの麦という文字が旧字体であったことと、麦秋という言葉が初夏の季語であったことを知ったのが一番の収穫であった。
麦秋の人々の中に日落つる 吉岡禅寺洞
2008年07月10日
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麥ですか、、、
古典漢字は書くのは大変ですが見る分には感じが出ていいですね。
私は手書きでない漢字は古典漢字にして欲しいと思っています。
麥です。^^
当地は麥の作付けがないので、水戸で広大な麥畑を見た時は少し感動しました。