いやいやそうじゃなくて車寅次郎博士の話である。花も嵐も踏み越えての寅次郎博士がノーベル賞を受賞したのだ。そこから話は始まった。岸本加世子が若いなあ。でも手術場でなんで外科医が患者を切開しようとすると腹からトンカツが出てくるんだ?まるでオカルト映画だ。
昭和56年はおいらにとって思い出深い年だ。大きな借金をして自宅を購入した。毎月せっせと働いて借金を返済し今年の12月に完済する。25年の月日は長い。300ヶ月ただひたすら借金を返済するために働いてきたようなものだ。タコ社長の工場で働く工員、寅さん言うところの労働者諸君の労働者として過ごした。これからもそうだ。自分ながら偉いと思ったりする。
まあそれはおいといて、寅次郎紙風船は肩に力の入りすぎた迷作である。マドンナは音無美紀子、それを支えるバイプレイヤーが岸本加世子、小沢昭一、地井武男、東八郎、前田武彦に犬塚弘。さりげなく関敬六も登場している。
なかでも小沢昭一に関しては「小沢昭一の小沢昭一的こころ」が日本の話芸の傑作だと信じているし、あまりに惚れ込んでラジオを聴くだけじゃなく出版された本まで愛読している大ファンだ。
寅は終始この映画ではやさぐれている。皆名優小沢昭一の存在感に負けまいと必死に見えるのは気のせいだろうか。地井武男も岸本加世子も東八郎もハイテンションだ。それになんといっても皆若い。開花するのはこの後だ。
この映画には重要な場面が二つある。ひとつはおいちゃんが棋譜を見ながら碁盤に石を並べる姿があること。まだこの頃は日本の囲碁人口は800万とも1000万人とも言われていた時代だ。タイトルは木谷門下が持ち回りであったように記憶している。おいちゃんの打った手はボーシにツキアタリに見えた。高川帽子店の棋譜だろうか?新聞で盤面の半分が見えないのが大いに不満である。
二つ目は詩である。陶淵明の帰去来の辞である。【田園将に蕪れなんとす、胡んぞ帰らざる】である。ただおいらは陶淵明は【飲酒】のほうが好きだ。
廬いおりを結んで人境じんきょうに在あり
而しかも車馬しゃばの喧かしましき無なし
君に問う何ぞ能よく爾しかるやと
心遠ければ地自ちおのずから偏へんなり
菊を采とる東籬とうりの下もと
悠然として南山を見る
山気日夕さんきにっせきに佳よく
飛鳥相与ひちょうあいともに還かえる
此の中うちに真意有しんいあり
弁ぜんと欲すれば已に言げんを忘る
趣味の漢詩
映画の中でおいちゃんが石並べをしていたが注意深く見ると手に持っている新聞の棋譜と全く違ったカタチらしい。画面で見る限りはこんな感じでやはりどうも怪しげである。映像が不鮮明ではっきり確認できなかった。


いほりむすばむ このやまざとに
男は皆 無口な兵士
心遠ければ地自ちおのずから偏へんなり
――とは言っても、やはり人恋しいなりぃ
つまりは、あおきひとしは『男はつらいよ』を越えるドラマは創れなかった、と...orz
え〜ん、理恵子泣いてお家に帰るぅ〜。ってことでご勘弁。いや、すまんすまん。
PS:渥見清さんは正確には出演ではなく、ナレーション出演でした。