パパこと兵頭謙次郎さんは一時期船越英二と名乗っておられた。先日風の便りにお亡くなりになったらしいと聴いたのでパパの語録を思いつくままに記す。いやはや実に気の弱いパパであった。そしておいどんはそんなパパをスクリーンで何度も何度も繰り返し見ている。スクリーンに映し出されるパパは常にドジでお人よしであった。そしてその不器用さはあれから32年経った今も少しも変わらないが、不思議なことに歳月を重ねるごとに輝きを増している。パパは天国でもドジなので大丈夫だろうかと心配になるが、寅さんがいるからどうにかなるだろうと思っている。
舞台は1975年の青森市安方。青函連絡船の見える港町。青い船体の『摩周丸』が堂々と青森港に入港してくる。今は海岸が整備されこの当時の面影は全くない。1988年に青函トンネルが開業したので連絡船もなくなった。
健次郎「実際僕はこの数日間」
寅「ウン」
健次郎「あなたと旅をしながら」
寅「ウン」
健次郎「人間の愛情と言うものが」
寅「ん」と目をしかめる。
健次郎「本来どのように暖かくて」
寅「ア〜〜!!」
健次郎「優しいものであるかという事を…」
寅「分かった分かった分かった。お前さんのその屁理屈を聞いてるとね頭の芯がズーンと重くなっちゃうんだよオレ!ビールでも飲もうよォ…もお」
津軽海峡。青函連絡船十和田丸の中。おいどんもこの連絡船で家内と1976年に北海道を旅したのだ。懐かしい。
健次郎「僕は死にやしませんよ。僕は死ぬために旅に出たんじゃなくて、自由を求めて旅に出たんですから」
健次郎「いいですねえ…鳥は自由で」
謙次郎「いよいよとなれば駅のベンチだって寝られますよ。あ、そうだ、それがいい。ロマンチックですよ〜それも」
謙次郎「大変だなあみんなそんなそうやって生活してんだなあ」
謙次郎「お仕事の帰りですか、大変ですねえこんな遅くまで」
パパ、間で座ってどんぶり持ちながらおろおろ。
謙次郎「お邪魔なようですので私はこれで…」
謙次郎「そんなあ…」(◎_◎;)
謙次郎「寅さん…、寅さん!」
謙次郎「ヒ、イイィ…」
謙次郎「あ、はい。しかし、カニなんか食べてしまうと今夜の宿代が…」
謙次郎満面の笑み!「そうですね!そうしましょう」
謙次郎「寅さん、僕は30年間、夢に見た街ですよ…」
謙次郎「あ、いや…この街には僕の 初恋の人がいるんです…」
謙次郎「学生時代東京で知り合った人ですけどね、小樽の人だったんですよ、その人は…」
謙次郎「ひょっとしたら、僕が生涯で一番愛した人かもしれませんねえ」
謙次郎「考えてみれば、僕はこの街に来たくて旅に出たのかもしれないなあ…」
謙次郎「フフ…違いますよぉ、彼女はもうとうに結婚しているし、子供だっているはずです。僕はただ彼女の幸せな姿をちょっと垣間見るだけでいいんですよ。」
リリー「だってそうじゃないかァ…。30年前の男が現れて、どうのこうの言ったって女にしてみりゃ迷惑な話だよ。陰気なおじさんのツラ見てがっかりするだけじゃないの?」リリーは薄情者である。
信子「謙次郎さんでしょう?」
謙次郎「ええ」
謙次郎「あのうお分かりですか?」
信子うなづいて「お店に入ってらっした時、すぐわかりました」
信子「あなた、昔とちっともかわらないのねえ…」
謙次郎「あのう…どうぞ、お幸せに…」
信子「……」下を向いたまま小さく頷く。
謙次郎「じゃ、僕、これで、…どうも…」
足早に去っていく謙次郎。謙次郎に、もう一言何かを言おうとするが、やめ、その後姿を追いすがるような目でいつまでも見つめている信子・・・
実にまあ何というか健次郎さんの性格はおいどんにクリソツなのである。そしてこの場面は兵頭健次郎さんが船越英二なのか船越英二が兵頭健次郎なのか渾然一体となった至上の名演だ。この別れのシーンは寅さん映画のなかでもおいらの脳裏に最も印象深く刻まれている。この後寅のアリアが冴え渡るのは兵頭健次郎さんと信子さんのこの別れのシーンが伏線になっている。これから二度と健次郎さんのような愚図愚図した純粋な男に逢えないだろうと思っている。
もう二度と謙次郎さんに逢えないのかと思ふと寂しいものがある。
参考文献:物語の勝利 ― 渡り鳥たちの栄光 ―
2007年03月20日
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